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バーチャルツアー 伊予・土佐へ [バーチャル旅行]

「超」整理法でおなじみの野口悠紀雄 教授の”「超」旅行法”
http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E8%B6%85%E3%80%8D%E6%97%85%E8%A1%8C%E6%B3%95-%E9%87%8E%E5%8F%A3-%E6%82%A0%E7%B4%80%E9%9B%84/dp/4104329010
にバーチャルツアーというのがあった。

街で、航空会社の時刻表を手にしたのをきっかけに、仮想の旅に出かけてみましょう。

私の場合は想像力が弱いので、行ったことのある場所を再訪する旅です。

高知県 宿毛、愛媛県一本松(今は街の名前が変わっていますかね・・)。
7-8年前、住民票を移そうかと思ったくらいに頻繁に行き来した場所です。

月曜の朝行って、週末に東京に戻る・・・の繰り返しでした。

朝、山手線で品川へ。京急線に乗り換え。
京急蒲田から空港線。

話をさらに15年くらい前に戻すと、最初の勤務先の工場が、空港に向かう線の大鳥居という駅の近くにありました。

仕事を変わって、久々にこの駅を通ると、地下になっており大いに驚いた。
15年前には、仕事帰りに上り線(京急蒲田方面ゆき)のホームにいくには駅構内にある踏み切りを渡らねばならなかった。
目の前で上り電車が来ると、それで遮断機が下りてしまい、次の電車までは15分待ち・・
おいおい。

当時、私は、会計部門で働いておりました。
決算や監査対応の時期は終電ギリギリ。
当時・・1990年頃・・は電車の運転間隔が長く、寒いホームで、会計士の先生がたと談笑しながら延々と次の電車を待った記憶があります。


わずか数年の間に・・・
京急の空港線は、かつての盲腸のような路線ではなく、空港への重要なアクセス路線となっていた。
(当時の勤務先は、いつの間に株式上場して本社も移転したもよう・・)

地下化に伴い、環状八号線の渋滞の名所?大鳥居踏切も消滅。
かつて運河の手前で行き止まりになっていた線路は、地下に潜り、新しい空港ターミナルの地下に乗り入れていた。
世の変遷はすさまじい。

さて、話は戻り・・
全日空585便 羽田発 9時25分
離陸、京浜工業地帯を眼下に、しばらくすると富士山が遠くに望める。
茶をすすっている間に大阪。
瀬戸内の美しい島々を見下ろしながらあっという間に松山空港。10時55分着。

バスかタクシーでJRの松山駅に出る。

JRの駅は、繁華街から外れた場所にある。駅の食堂で軽く昼を済ませる。
松山からは「宇和海9号」12時18分発。 伊予市、内子(うちこ)、伊予大洲(いよおおず)、八幡浜(やわたはま)。「やわたはま」のイントネーション(尻上がり)が独特だ。

四国のことば、人間味があってなかなか好きです。東京ことば(標準語)のような冷たさがない。
(私は、東京だって、日本の一「地方」に過ぎないと思ってます。
その昔、京に都があったころは、田舎ですよ。 最近の東京一極集中は目に余る。)

たしかこのあたりから線路が海沿いに出る。秋なら橙色のかんきつ類が実る景色と、入り組んだ海岸線がなんとも新鮮であった。
時間が下校時間や通学時間帯になると学生さんの姿も見かける。

山がちの信州・・・蛋白源が極端に少なかった(今でこそサカナでも刺身でも何でもありますけど、昔はね)・・・ で育った私にはかなりのカルチャーショックがあった。
黙っていてもミカンがなって、海にはサカナや真珠が採れるというのは、驚きであった。

宇和島 13時38分着。
駅近くでレンタカーを借りる。国道56号線を南へ。日向灘を右手にみながらトンネルの多い国道をゆく。漁村や海水浴場。
御荘、一本松。
ここに仕事場の工場がありました。

さらに県境を越えると高知県宿毛・・・

腕時計の針は午後三時過ぎ。

冬なら日が傾きかける時刻。

朝一番で行っても、工場に着くのは夕方。
仕事といっても、その日は挨拶程度になってしまう。

仕事で行っている時は、景色を楽しむ余裕がなかった。

朝から晩まで工場に詰めておりました・・。

地方は夜が早いので、もたもた残業などしてると晩飯を食おうにも店がやってない。

海に面した宿「椰子」
http://www.sukumo-yashi.jp/
のパンフレット写真。実際、こんな感じ・・南国のムード満点とでも申しましょうか・・でした。

観光で来たらどれだけ素晴らしいだろう・・・と思いましたよ。

一本松の町の礼儀正しい小学生は、私のようなヤクザモノにもきちんと挨拶をしてくれる。

私の仕事は、工場で使用するシステムの運用支援でした。

工場といえば・・・
かつて自分が身をおいてきたモノ作りの現場・・・・ 
2S3S、規律の整った、日本の工場・・
そこに、アメリカ式のロジックを流すという、荷の重い役回りでした。
工場で働く方々の機転と、勤勉さがなければ、私の仕事はとうに破綻していたでしょう。

日本の製造業は素晴らしい・・と、私は改めて感じました。

私の理不尽な要求に対しても、嫌な顔一つせず、笑顔で黙々と働く人たち。

折をみてお世話になった方をたずねてみたいものです。


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