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私と第二次世界大戦・2024年08月 お伊勢・熊野・高野山参拝の旅(プレビューその5:day1 東京駅) [日々つれづれ]

(予約投稿です。)
 
 宗教の政治利用はけしからんと言いながら、SNSで自分の主張を表明しているではないか、というご意見をいただきそうです。 

 私の場合は、イデオロギーからそう主張するのではなくて、戦争がこりごりだと身に染みて実感しているので、そう書きました。

 私は戦後の生まれですので、直接の被災体験はありません。私の育った場所は、繰り返し空襲の被害にあったり、また広島や長崎のような原爆で甚大な被害を受けたわけではありません。

 どちらかといえば、学童疎開先に選ばれるような地方の小都市です。山沿いの工場に空襲が一回あったと、市史(松本市史)に記述があります。

 他方、そんなのどかな地方都市にも戦争の負の影響はありました。

 私の祖父は、詳しいことはわかっていないですが戦争の影響で経済破綻したと聞いています。父のきょうだいは、破綻の影響で進学をあきらめ、職をもとめて大都市に出ました。

 父は多くは語りませんでしたが、筆者にむかって
「大学だけ行っておけ」
と常々口にしていました。

 また、上京した父や親せきのところに、政府の債務回収職員が回収に訪れたそうです。債務の額はとても初任給で払えるような額ではありません。細かいことは聞いていないですが、おそらく回収事務は形式的なものかもしれず、政府も最終的に債権を放棄せざるを得なかったのでしょう。

 祖父の家はそんな状態でしたので、筆者が親元を離れ一時祖父の家でしばらく暮らすことになった時も、今にして思えば生活保護に近い状態だったような気もします。

 楠木建さんが「戦争が起きたら、全員大損」とおっしゃっているのはおそらく事実です。インフラが破壊され、人的資源が損なわれ、通常の経済活動が停滞してしまいます。

 日本人の宗教観として、「葬式仏教」といったネガティブなキーワードがあります。筆者にとっても、信仰云々という前に、冠婚葬祭などの人生の節目の儀式の際のプロトコル(きめごと)を定めたルールに過ぎないのかもしれません。

 おそらく多くの人にとって儀式の際の決め事にすぎない日本人の宗教を、政治に利用するのは、よろしくないのでは?という問題提起です。
 
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(旅の写真)先週の伊勢、熊野、高野山の旅。初日の朝。集合は朝6時50分。電車は下りの「のぞみ205号」7:21発。

 筆者は前日も仕事でしたので、朝早くてしんどいと思ったのですが、この時間帯ですと、平日の通勤ラッシュを避けて集合場所までたどり着けるので、これはこれでありがたいと思いました。名古屋までは1時間半ほど。あっという間に着いてしまいます。

 パソコンを出して仕事の続きでもするかと思ったのですが、落ち着かないのでよしました。テーブルも電源もあるのでやろうと思えばできなくはないのですが、落ち着かないです。

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青い森のヨッチン

うち母親は終戦時には10歳くらいの年齢で当時の記憶の中で戦争に対する悲惨な印象は持っていないようでやれグラマン戦闘機の機銃掃射から逃げたとかいう話を鬼ごっこのような感覚で話す事があります。
田舎なので空襲も激しくなくに戦時中でも比較的長閑な少女時代を送っていたのかもと思うときがあります。
最近になってもしかしたら記憶の中でバイアスがかかっているのかもしれないと思うようになりました。
実際に10歳の子供の目にどう戦争が映っていたのか知りたいと思っています。
by 青い森のヨッチン (2024-08-14 18:41) 

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