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どうでもいい昔の私の仕事のはなしと、昔の写真・・笑 [日々つれづれ]

「2020年の10月から祭日をなくしてしまったのは誰でしょう・・おかげで労働強化になってしまったじゃないか・・」

上のセリフを書いていて、ふと思い出しました(笑)。

「君は言ってもしょうがないことばかり言うね・・」

と社会人になって最初にお世話になった勤務先で同僚に言われたこと。当時の勤務先(都内)は空港に通じるローカル線(注)のような電車で通勤しており、構内に踏切がありました。この都会の駅に踏切はけしからんとか同僚に言ったのです(たしか)。
「お前なぁ・・」
と彼は言いました。彼が業務で扱っていたオフコンは文字通り「汎用機」で(笑?)、あちこちで見かけます。最近も同じ機種の設定をする機会があり、個人的には非常に感慨深いものがありました。

 野口先生(超整理法)はオフコン(メインフレーム)を手厳しく批判されています。
「私は(中略)メインフレームコンピュータに敵意を持っていたのだ」(野口悠紀雄 「超勉強法」p.156 幻冬舎 2011年)

 私も同意見です。組織には属しており、ログオンは許可されていましたが、使いたいように使えないのです。私が操作できるのはダム端末と呼ばれる代物です。コンピュータ内のロジックには一切触れることができません。

当時、社内に計算センターがあり、私は、そこの課長と毎月のように喧嘩をしていました。(笑)
 提供されてしかるべきデータが、彼のロジックでしか出てこないのです。私は会計係でしたので、会社のさだめた会計ルールに沿って原価計算をしなければなりません。公認会計士など外部の専門家と議論して決めたルールです。
 最前線で、その矢面に立たされる私の身になってください(笑)。私は、公認会計士(各種の法的規制、会計原則にのっとった処理を求めてきます)とお話をし、他方で、ガンコで、なかなか自説を曲げない電算課長とも話をせねばならんのです。(当時の上司に向かって、いまさら言ってます・・笑) 当時のわたしは両者のはざまで苦悩していました。今考えてもお疲れさまな仕事ですが(笑)、さて私の今の仕事は、どうなんでしょうね?・・笑

さらにどうでもいい話ですが、問い合わせ、つまりデータベースに照会をかけてデータを取り出す操作を英語でQuery・・・日本語では、「クエリー」と発音すると思います。そこの課長は、「きゅーりー」と呼んでいました。メーカーがそう呼んでいたのか、もしくは彼が独自にそう発音していたのかさえ、いまでは定かではありません。会計部門の同僚と、
「何がキューリだよ!」
と毒を吐いていました(笑)。

 で、むかしの写真です。高校の学園祭。男子校ですが、お祭りの時は外から女の子も見に来ていますね(笑)。学生の髪型が時代を感じさせますね。かつて古くて汚い校舎でしたが、最近遊びに行ったらきれいになっていて驚き。私が社会人一年目でいろいろ悩んで相談に行きましたら、私が学生だった当時の担任教員がまだおられまして、私のぐたぐた話の応対をしてくださいました。母校とはありがたいものだとつくづく思います。

(注)1990年ころの京急空港線は、羽田空港まで通じていなかったと記憶します。線路は海老取川の手前で終点(今の天空橋駅よりさらに京急蒲田よりです)。そこから環状8号線を徒歩で歩いて空港まで行った記憶があります。
「え?羽田空港駅って、空港じゃないんじゃん?」とか、何とか言いながらです。





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