2024年8月、9月・上海・香港の旅(プレビュー)その6 羽田 CX543で香港へ [日々つれづれ]
旅の写真。今年8月から9月にかけての香港・上海の旅。1日目、羽田から香港に行く、キャセイCX543便の搭乗が始まりました。筆者は10年ぶりの香港です。本来なら、心ウキウキ、しかしそういう気分にはなれなかったのです。
自分としては、5月の台湾行きで中国語圏への慣れ・順応ができるような訓練をし、万全の体制で臨んだつもりです。
しかしそこには大きな勘違いがあり、前日(2024年8月31日土曜に羽田発)の同じくCX543便の自動チェックイン機でチェックインしたものの、キャセイの係員に止められて搭乗ができませんでした。
いわく「中国入国時の査証の不備」。ああ・・やっぱりそうか・・やってしまった。
問題は言語ではなく査証でした。台湾や香港は査証が要りませんが、中国本土への観光渡航は原則、査証が必要です(2024年8月現在)。
他方、筆者は、羽田→香港→上海へ行った後、3日後に上海から香港に行く予定で、この場合の香港(特別行政区/SAR:Special Administrative Region)は第三国扱いになると確認(注1)しました。
(注1)在日の中国観光協会に電話しました。
上記の例外、つまり査証免除について。北京、上海など特定空港、かつ第三国へのトランジット(乗り継ぎ)かつ規定の時間内〈72時間とか144時間とか)の滞在であれば査証免除(2024年8月末現在)。既定の詳細は下記リンク先(ジェトロのサイト)を参照下さい。
国家移民管理局、72時間・144時間トランジットビザ免除手続きを解説(中国) | ビジネス短信 ―ジェトロの海外ニュース - ジェトロ (jetro.go.jp)
あらためて写真は、9月1日。1日遅れでようやく搭乗できることになったキャセイCX543便の搭乗ゲート付近です。
他方、上記の免除にはわかりにくいトラップ(わな)?、があり、筆者のように、羽田→香港(中国のSAR)→中国本土→香港(同左)という経路で行こうとすると、「2回目の香港が第三国扱いにならない」のです。
え?1週間かけて、正式に査証を取り直して出直せばいい?いや待ってください。現地での予定(アポイント)、きっちり全部組んでありますし、仕事も休んでしまった。いまさらリスケ(日程区見直し)など事実上、不可能です。
私の大きな失敗。仕事目的のビザが取得できると思っていてそちらのあてが外れたこと。それと関係なく自分自身で観光ビザを取っておくべきでした。
かりに商用ビザがなくても、上記の特例(査証免除)で逃げられると思ったのですが、そうは問屋が卸さなかった。
実は、筆者には上海である仕事を計画しており、その旨(仕事で上海に行きたい旨)、非公式で打診していました。
上海で長期滞在されるお客様から、現地での通信環境について、日本を出発される前にご相談を受けておりました。
しかし私は中国大陸へ行ったことがなく、噂ではいろいろ聞くものの、現地のインターネット事情がどうなっているか実感として知っているわけではありませんでした。現地に知人はいて一般的なことは聞けるとはいえ、企業ごと、組織ごとの細かい設定内容については、やはり担当者が現地に行き実地を確認するしかないです。
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写真は、2024年9月1日。羽田の第三ターミナルにて。航空会社のチェック、出国審査、税関、手荷物検査など通って、ようやく香港へ行けるとなって、肩の荷が少し下りた気分で歩く搭乗口への通路。気持ちが大きくなって免税店でラグジュアリーブランドを?無理無理(笑)、値段見て驚愕。急に英語圏の人のふりをして「Sorry, I am just looking...」(ごめんなさい。見てるだけなんで・・)と逃げました(笑)。多分日本人てばれてますが。
自分としては、5月の台湾行きで中国語圏への慣れ・順応ができるような訓練をし、万全の体制で臨んだつもりです。
しかしそこには大きな勘違いがあり、前日(2024年8月31日土曜に羽田発)の同じくCX543便の自動チェックイン機でチェックインしたものの、キャセイの係員に止められて搭乗ができませんでした。
いわく「中国入国時の査証の不備」。ああ・・やっぱりそうか・・やってしまった。
問題は言語ではなく査証でした。台湾や香港は査証が要りませんが、中国本土への観光渡航は原則、査証が必要です(2024年8月現在)。
他方、筆者は、羽田→香港→上海へ行った後、3日後に上海から香港に行く予定で、この場合の香港(特別行政区/SAR:Special Administrative Region)は第三国扱いになると確認(注1)しました。
(注1)在日の中国観光協会に電話しました。
上記の例外、つまり査証免除について。北京、上海など特定空港、かつ第三国へのトランジット(乗り継ぎ)かつ規定の時間内〈72時間とか144時間とか)の滞在であれば査証免除(2024年8月末現在)。既定の詳細は下記リンク先(ジェトロのサイト)を参照下さい。
国家移民管理局、72時間・144時間トランジットビザ免除手続きを解説(中国) | ビジネス短信 ―ジェトロの海外ニュース - ジェトロ (jetro.go.jp)
あらためて写真は、9月1日。1日遅れでようやく搭乗できることになったキャセイCX543便の搭乗ゲート付近です。
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他方、上記の免除にはわかりにくいトラップ(わな)?、があり、筆者のように、羽田→香港(中国のSAR)→中国本土→香港(同左)という経路で行こうとすると、「2回目の香港が第三国扱いにならない」のです。
え?1週間かけて、正式に査証を取り直して出直せばいい?いや待ってください。現地での予定(アポイント)、きっちり全部組んでありますし、仕事も休んでしまった。いまさらリスケ(日程区見直し)など事実上、不可能です。
私の大きな失敗。仕事目的のビザが取得できると思っていてそちらのあてが外れたこと。それと関係なく自分自身で観光ビザを取っておくべきでした。
かりに商用ビザがなくても、上記の特例(査証免除)で逃げられると思ったのですが、そうは問屋が卸さなかった。
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実は、筆者には上海である仕事を計画しており、その旨(仕事で上海に行きたい旨)、非公式で打診していました。
上海で長期滞在されるお客様から、現地での通信環境について、日本を出発される前にご相談を受けておりました。
しかし私は中国大陸へ行ったことがなく、噂ではいろいろ聞くものの、現地のインターネット事情がどうなっているか実感として知っているわけではありませんでした。現地に知人はいて一般的なことは聞けるとはいえ、企業ごと、組織ごとの細かい設定内容については、やはり担当者が現地に行き実地を確認するしかないです。
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写真は、2024年9月1日。羽田の第三ターミナルにて。航空会社のチェック、出国審査、税関、手荷物検査など通って、ようやく香港へ行けるとなって、肩の荷が少し下りた気分で歩く搭乗口への通路。気持ちが大きくなって免税店でラグジュアリーブランドを?無理無理(笑)、値段見て驚愕。急に英語圏の人のふりをして「Sorry, I am just looking...」(ごめんなさい。見てるだけなんで・・)と逃げました(笑)。多分日本人てばれてますが。
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実際にお客様が現地に行かれてからも、何かイベント(例:共産党大会)があるたびに、日本への通信が遮断され、
「通信が途切れて仕事にならんのですが、どうしたらいいでしょうか」
とのお問い合わせをいただいていました。
そのつど筆者は
「うーん。困りました・・・・、もしかしたら、海外からのテロを警戒して、当局がすべての海外への通信を遮断するくらいのことはするかもしれません・・」
くらいのことしか言えません。
サポートする側としてはどうにかしてさしあげたいですが、どうにもなりません。まったくもどかしい。支援するほうも、される方もイライラする状況です。むろん、イベントが済むと何事もなかったかのように、もとに戻ったりする。もう何が何だかよくわからない。そんな感じです。
筆者はその辺の現地での肌感覚を目で見て確認したかった。あとはお客様の状況を現場で確認させていただき、お話を伺う。せいぜい1ないし2時間くらいの仕事です。しかし、そのために、出張するのは少々気が引けました。観光に行ってついでに少し仕事くらいでちょうどいい。そんな風に考えていました。その旨も打診しました。
写真は、上と同じ写真のCX543便、香港行きのボーディングブリッジです。
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しかし今、冷静に考えますと、予算を通して堂々と社費で行くべきでした(もしくは仕事は放棄するか。)経営側にその重要性を伝えるのに失敗したとしか思えません(本件事象について関係会議で発言し、議事録も残っています)。
そんなわけで、観光ならいざ知らず、商用ビザなら文句ない(入国審査で拒否されない)だろうと思っていたのですが、渡航の直前に「それは(やらなくて)良い。なぜなら危険なので。」ということになり、これは困ったことになったと思いました。
危険の意味は、日本の製薬会社の社員が拘束された事件をさしています。他方、当時の筆者は、ビザなしで入国にトライするほうがよほど「危ない」と思いました。しかし経営側の判断ですので、一従業員は従うしかないです。
出発案内。私の乗るCX543便が表示されています。
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他方、私にとって中国は前職で同じ釜のメシを食べて苦楽を共にした10年来の知人がいる土地です。
「キミの住んでいる場所は危ないから行かない」などという判断はいち個人としてはあり得ません。大事な友達をこれしきのことで失いたくはないです。
私は彼を信頼していましたし、実際、こちらの期待以上の対応をしてくださり、いやはや恐悦至極に存じます・・と言っても、釣り合わないくらい日本からの来客である筆者をもてなしてくださいました。
見ず知らずの異国の地で、こんなありがたいことがあるでしょうか・・。いろいろあったけど、来て本当によかったと心から思いました。いや、正確にはいろいろあっただけに、余計に友人の情けが身に沁みました。
筆者の中での、中国に対する、誤解、無理解・・・そうしたものが一回の訪問ですべて氷解しました。
ですので私がこのCX543便、香港行きに乗るときは、査証云々はいったん忘れ、友人に再会したら何を話そうかと考えていました。日ごとに現地でどこに行く、何を食べる・・を現地の知り合いがスケジュールしてくれており、そのスケジュールをどうやってこなそうか、そんなことで頭がいっぱいでした。ノンキなものです。
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唐突ですが、1980年代から1990年代にかけて活躍した日本のシンガーソングライター尾崎豊さん「卒業」。彼は筆者と同世代で、彼の人生の最後に迷い込んで倒れた足立区北千住の街(たしか)は私が当時毎日のように通っていた街でした。彼の訃報を聞いた時の衝撃は今も忘れません。
筆者には彼のような才能はありませんし、まったく別の世界の人・・・と思っていましたが、何か親しみを感じました。大昔、堀ちえみさんのFM番組(FM東京だったか)を聴いていたら、彼の「Driving all night」がかかって、それで心をわしづかみにされました。「もしかして千住大橋をクルマで走っていた時の風景をうたった曲かな・・」なんて勝手に想像しました。