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おでんを煮る [日々つれづれ]

 村上春樹(日本の小説家)さんに「納屋を焼く」という作品があります。納屋を焼く?読んだことがないので、よくわからんですが、季節は秋かなと勝手に想像しました(外れてたらごめんなさい)。  

 私の生まれは中部日本の田園地帯。戦国時代に、隣の国(甲州)の武田信玄という荒っぽい武将が攻めてきて、領地にしました。

 甲州でもコメは穫れますが、彼は信州の穀倉地帯のコメが欲しかったらしい。

 武田は諏訪氏(注1)の娘を勝頼(信玄の三男だったか)の嫁にしたり、東や北信州にも攻め入って、越後の上杉と対峙するほどの勢力を誇り、遠州や駿河を攻めて、東海道回りで上洛しようとするも、信玄が病死。
 信玄の死後に、武田家家臣団の結束が乱れ、重臣の穴山氏(注10)が謀反を起こして織田側の調略でそちら側につき、木曽谷を守るはずの木曾氏らも織田側に下り、織田・徳川連合軍に攻め込まれ、武田家は天目山(いまの中央道やJR中央本線・笹子トンネルのあたり、甲府盆地側)で滅びました。

 なんの話でしたっけ? あ、稲わらを焼く話ですね。私の母の実家は穀倉地帯の農家です(でした)。

今でも私の従兄は兼業で稲作をしていて(いたと思います)、帰省するとお米を頂いたりします。

 筆者が幼少のころ、まだ存命だった母方の祖父母にずいぶんと可愛いがってもらいまして、祖父と一緒に稲わらの上で座って遊んでいる手元に写真が残っています。

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 筆者のSNS上のハンドル名:安曇野(Azumino)はそんな郷里への郷愁の思いが込められています。

 そんな安曇野の田んぼで稲わらとか雑草とかを焼いたりした?(かどうかも覚えてないです?)のは今頃だったかな・・。そんなわけで、時節柄「おでん」を煮たいと思います。

(注1)「諏訪氏(すわし/すわうじ)は、社家・武家・華族だった日本の氏族。諏訪大社上社の大祝(おおはふり)を世襲する信濃国諏訪郡の領主であり、神氏(みわし)とも称した」(Wikipedia より)

(注2)オリエンタルラジオ(日本のお笑い芸人グループ)の藤森さん(諏訪のご出身)が、「アド街ック天国」(松本編:テレビ東京のバラエティー番組)で
「諏訪は何もなくて、松本は都会で・・」
のような謙遜された発言をされていました。

 しかし諏訪や茅野の人たちは、「松本が何ぼのもんじゃい」くらいに思っているように感じるんですよね。(藤森さんがどう思われているかはわかりませんが。)

 なぜなら、諏訪には諏訪大社があって由緒正しい諏訪氏の里だと。
「松本? 信濃国の国府だった(注5)かもしれんが、戦国の世に武田に攻めこまれて、小笠原氏(信濃国守護)の井川城(注3)、
および林城(注4)があっという間に落城して敗走したではないか。弱すぎる。」


「その点、諏訪はちゃんと正統が続いているぞ。松本城なんていまでこそ観光名所になってるが、石川数正(注8)がつくったもんだ・・・言うて他国の武将がつくった城でないか。信州に元々あったものではない。」

「だいたい、明治になって筑摩県(注9)の県庁は松本だったが、県庁が焼けて、県庁が長野(善光寺の門前町)に移ってそれっきりだろ?」


「松本なんて長野道の松本インターチェンジの近くに県の合同庁舎があるだけではないか。」

「新幹線も通ってない。新宿から在来線で3時間近くかかる。東京から遠すぎる(注6)。」

「諏訪ナンバー(自動車の登録証:国土交通省管轄)ができて、ようやく松本ナンバーとおさらばできたわい・・・」

「諏訪湖の花火(8月中旬の本大会)は動員数50万人。他方、「松本ぼんぼん」(注7)はぜいぜい数万。勝負ありだわ。」

と思っておられるのではないかと(勝手に想像しています)。

(注3)今の南松本あたり。国道19号線(松本バイパス)に井川城口という交差点があります。今は田んぼと住宅地です。

(注4)薄川の上流。現在の地名で松本市入山辺(いりやまべ)あたり。山城なので元々城郭はありません。松本市の教育委員会だったかが建てた案内銘板があります。


(注5)松本市には、駅前に国府町(こくぶちょう)という町名が残っています。

(注6)松本から東京の都心までは220キロくらいだったか。しかし名古屋のほうが微妙に近くて190キロくらいだったかな。文化的にも、名古屋の言葉や、食文化が入ってきていました。(昭和40年ころの話、いまはどうだか)

AC電源の周波数も松本は60Hz(ヘルツ:中部電力)です。

東京(東京電力)は50Hzです。塩尻(長野県)に周波数変換(50hz⇔60Hz)のための変電施設があります。


(注7)商工会議所だったかあたりが主催して?いるイベント。市民が参加する踊り大会。現代風の楽曲で結構うるさいので、筆者はあまり好きではないです。

職場(松本時代)で強制参加の時は嫌だったなぁ。

 他方、オリジナルの「ぼんぼん」はもっと風情のある静かな行事です。

筆者は幼少のころ、地域の「青山様」に参加しました。

「ぼんぼん」「青山様」ともに長野県選択無形民俗文化財になっています。「青山様」で神輿を担いで練り歩く際の掛け声は今でも筆者は覚えています。

ご参考: 松本のぼんぼん・青山様 - 松本市ホームページ


(注8)石川数正は徳川家<駿河国→のちに江戸幕府の征夷大将軍>の家臣。

(注9)筑摩県(ちくまけん)は今の長野県の中南信だけでなく、飛騨国の高山あたりまでを包含していました。

(注10)新田次郎「武田勝頼」による。

なんだか、話がどんどん脱線していきますが、とにかくおでんを煮るんですよ(笑)。紀文のおでん種と、大根と、馬鈴薯。こんにゃく。


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