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新しい時代の街づくり [街づくり]

このブログの筆者の経歴については、もうすでに何度かご紹介していますが、初めてお読みになる方もいらっしゃると思いますので、再度ご紹介したいと思います。
信州豊科で生まれ、松本市内の祖父の借家や、父の仕事の関係で都内や埼玉などを転々とし、今は東京郊外に暮らしています。

社会に出てからは、企業で総務、経理、生産管理、会計システム導入などを経験し、今はシステム管理が主たる担当です。
大学は法学部の政治経済学科に進みましたが、あまり学校には行かずバイトばかりでお恥ずかしながら勉強もしませんでした。
そんな風ですから、社会人になってから、経済書などを読んでもなんのことかさっぱりわからずじまい。
政治経済学科ですから、当然、経済学もカリキュラムには入っています。
経済がわからないとすれば、それはカリキュラムのせいではなく、私のせいでしょう。
ともかく、社会に出ても実際の経済を見る力がない。これは困ります。
自業自得かもしれませんが、経済新聞など読むたびにある種の自己嫌悪に陥っていました。

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(松本市内 中山付近から望む常念岳などの山なみと、松本南部の市街 2007年2月)

これではいけないと、経済学の本など買ってきて読むものの、やはりわからないという試行錯誤も続き、しかしながら公私いろいろあり勉強したい気持ちも挫折しがちでした。
2007年に一年発起?して大学通信教育で経済の勉強を始めました。それからすでに5年が経とうとしています。
こちらのほうのカリキュラムは、まだ道半ば。
単位はまだ残っているものの、5年を区切りにいろいろ包括して、ひとつの方向性を見つけ、学習の成果を収斂させていくべき時期かもしれませんが、なかなか一点には定まりません。

このブログでは、頻繁に信州や松本の話題を取り上げています。
ことわざで三つ子の魂なんとやら申しますが、私にとっても、ひとつの原風景として、松本の市内から見る山の景色が刷り込まれているように思います。
滞在した年数で数えてみると信州より埼玉などのほうがよほど長いです。

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(市内伊勢町の交差点付近 2007年2月)

しかし、あなたにとってふるさとの風景とは、と聞かれたとしたら、私は松本の向島町にあった祖父の家と、町内の風景が真っ先に浮かびます。
安曇野生まれの祖父は、市内で戦時中に営んでいた軍需関係の仕事を畳み、隠居をしていたようです。
隣の金属商のおじさん、向かいの元気なおばさんと、やんちゃな息子たち、はす向かいの魚屋さん、裏手の豆腐屋さん、同じく近所に住む、同級のI君、Y君・・。
日本全国どこにでもあるような、とても居心地の良い街のコミュニティがありました。

私が信州の小さな街の風景にこだわる理由はそこにあるのだと思います。
おそらく誰しも、心の中になくしたくない思い出、風景があるのでしょう。

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(伊勢町通り 2007年2月)

2007年の早春、ソネットブログのJamaicaさんのお誘いで木曽に遊びに行き、帰りに松本の街を訪れ市内の宿に泊まってみた。
下の写真は、朝の散歩のときに撮影したもの。
松本城に通じる大名町通りの電気店の跡です。
かつては、通りに面したガラスのウインドウに大型のTVセットが並び、奥には高級オーディオが鎮座していたように記憶しています。
たしか1970年頃には、往来には人の流れがもっと頻繁にありました。
閉店した店のシャッターの前に描かれたパステルタッチの絵に描かれた明るい風景。
しかし目の前に、厳然と横たわる現実。
旅の前から、信州Espresso diaryの斉藤さんのブログなどで地方の様子についてある程度知っていたつもりではありました。
しかし百聞は一見にしかず。
かつての69や伊勢町の賑わいと、活気を失いつつある現況との落差に私は一旅行者として、あ然とするほかありませんでした。

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「時代が違うんだよ」といってしまえばそれまでかもしれません。
オーディオやTVが高級品だった時代は去ってコモディティ化が進み、パソコンや携帯電話の時代になっても郊外型家電量販店はそれなりに繁盛しているようです。
中信地方の文字通り中心だった街も、時代の流れの中で、かつての地域の経済センターとしての求心力を失いつつあるようにも見えます。

人口減少、高齢化の進展で、このまま地方の都市は縮小し、街自体が老朽化していくしかないのか。ふとそんな思いがよぎりました。
いやまて、人が高齢化するのと、街の構造が老朽化し、元気がなくなっていくこととは関係がないのではないか。
高齢化しても、元気な街というのは実現可能ではないか。
以来それが自分のひとつのテーマとなりました。

昨年の梅雨どき、私は用があって帰郷し、用を片付けた後、イトコと一緒に久々に中心市街を歩いて周りました。
そのときの様子を記事にしたものが残っています。
松本の街は再開発などだいぶ様子が変わりましたが、写真にある中町のあたりにはまだまだ歴史を感じさせるたたずまいが濃厚に残っています。

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最近手に取った本の著者の取り組みに、私は共感します。
「国も地方も財政は非常に厳しい。(略)これからの先行きが見えない時代には、「人」と「知恵」が必要だ。(略)
ハコモノに期待するのではなく、商店街に任せるのでもない。街をささえていこうとするやる気のある「人」の気持ちを奮い立たせ、その気持ちに火をつける、小さくてもそんなまちづくりがこれからは必要でないかと思う。」(長坂泰行 中心市街地活性化のツボ 今私たちができること 学芸出版社 2011 pp.18-19)

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(市内 上土町近くの洋菓子店 2011年5月)

人と、知恵、「地域の固有の文化や資源を生かそうとする市民の試み」(久繁哲之介 地域再生の罠 2010 ちくま新書 pp.17)が、新しい時代を切り拓いていく。
国や県などから下りてきた計画に沿って街をつくるのではなく、そこに住む人自らが、地元の事情を考え、自らが暮らしやすく、また魅力のある街とは何かを自分たちで考え、議論しながら、街をつくっていく。
(その先は私の希望ですが、その街の歴史や文化に根ざした景観を大事にした街並み、その街独特の風情をもった街並みであってほしいと願っています。)
漠然とですが、私はそんなイメージを持っています。

今までなかなか機会がありませんでしたが、今年はぜひ時間を作りわが街・松本を訪れて文化、歴史、資源に注目した街づくりについて考えてみたいと思っています。


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コメント 10

斗夢

信州・松本への想い・・・それが「絆」だと思います。
by 斗夢 (2012-02-26 20:06) 

K

おじゃまします

松本市には善光寺もありますから、方向性は見つけやすいかもしれませんね^^。

過疎の進む普通にある集落をどう救うのか、それとも思い切って切り捨てるのが得策なのか。課題は重そうですね。


by K (2012-02-26 20:58) 

いいだや

私の妻は松本に長く住んでいました。
マサムラのお菓子、妻は大好きのようです。
by いいだや (2012-02-27 08:59) 

Silvermac

43年ぶりにUターンし、私の育った家があった付近を訪ねましたが昔の面影、知人は誰もいない見知らぬ場所になっていました。唯一、私達がそこに住んだ証明は、今は小公園になっている水上警察署跡に残された碑に刻まれた祖父の名前だけでした。
by Silvermac (2012-02-27 09:50) 

okko

反対の場合もありますね。
疎開していた神奈川県の小さな町、その郊外の農家で終戦を迎えました。もともと、店など数える程度しかなく・・・・それが先日、近くまで行くことがあったので、寄ってみようと思ったら、賑やかな町に変わっていて、
方向感覚すら分からなくなってしまいました。
どう解釈すればいいんでしょうね。
by okko (2012-02-27 11:03) 

駅員3

松本は、本当に良い街ですね。
チャンスがあれば、永住したいと思う位です[るんるん]
勉学、頑張ってください[ウィンク][手(パー)]
by 駅員3 (2012-02-27 13:46) 

yanasan

私は生まれ育ったこの地を一度も離れて暮らした事が無いのですが、殆どの人の顔も解らない程になり、昔の様な人とのふれあいが薄れているのを感じます。 
by yanasan (2012-02-27 22:02) 

Azumino_Kaku

yanasan さん、
さきしなのてるりん さん、
駅員3 さん、
siroyagi2 さん、
tsun さん、
okko さん、
新危機管理研 さん、
Silvermac さん、
今造ROWINGTEAM さん、
いいだや さん、
vient事務局 さん、
YUTAじい さん、
HAtA さん、
tooshiba さん、
tsworking さん、
K さん、
TANIGUCHI さん、
斗夢 さん、
xml_xsl さん、
Ren さん、
mwainfo さん、
成瀬 さん、
hirosan さん、


こんばんは、
ご訪問ありがとうございます。




☆ 斗夢 さん、

ありがとうございます。
祖父、父の世代から、私、そして子供たちの世代に、受け継いでいく価値観を大事にしたいと思っております。




☆ K さん、

ありがとうございます。
あ、善光寺は長野ですね(^_^)

松本も松本城という観光資源だのみのところはありますね。

過疎の集落は自立できるなら自立させる。ダメならやめるということでいいのではないでしょうか。



☆ いいだや さん、

そうでしたか(^_^)

私もマサムラのシュークリームやショートケーキなどは大好きです。
オーソドックスな味で安心していただけますね(^_^)



☆ Silvermac さん、


そうでしたか。思い出の場所が様変わりしてしまうのは、やはりショックですよね。
ご祖父様、立派な方だったことでしょうね。



☆ okko さん、

そうですか、湘南の街でしょうか。
東京から近い場所は人口流入があるかもしれませんね。

今、日本中の地方都市が人口減と経済の沈滞に疲弊しているようです。
首都圏でさえも、その流れには逆らえないようです。


☆ 駅員3 さん、

ありがとうございます。
ぜひまた遊びにおいで下さい。

私もリタイアしたら移住したいです(^_^)



☆ yanasan さん、

今はたしかに人と人とのつながりが薄れてきていますよね。
コミュニティの再構築が求められているように思います。
by Azumino_Kaku (2012-02-27 22:45) 

さきしなのてるりん

コメント入れ忘れました。中町は昔と変わったんですよ。区画整備で、蔵造に店の構えを。ひいきにしていた食品店は、ご夫婦ともなくなってしまい店が売られたと同時に取り壊し、今は蔵造の体裁にして、全く違うお店になってしまいました。
by さきしなのてるりん (2012-02-29 23:28) 

Azumino_Kaku

☆ さきしなのてるりん  さん、

ありがとうございます。
たしかにそうかもしれません。昔のまま、などと書きましたが、昭和46年頃は普通の市街だったかもしれないです。
区画整理があったのですね。そんなことも存じ上げずに書いてしまい、大変失礼しました。
ごひいきの食品店は残念ですね。
ただ、今の街並み自体はけっこう良い感じだと私は思っております。
今年も何度か実地踏査と、地元の図書館などで資料に当たる作業を予定しております。

by Azumino_Kaku (2012-03-01 06:36) 

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